「成人の日」ですね。
今年は、成人式の有無や形式が、自治体によって大きく異なることになりそうです。
中止や延期、リモート実施等になった所でも、
関係する人々の悲しみや経済的な打撃が大きくならないような政策を望みます。
一方で、成人式がなくなってホッとしているという人も、少なからずいるのでは・・・と想像しています。
私が「新成人」だったのはもうずいぶん前になりますが、成人式には行きませんでした。
子ども時代から人間関係が苦手で、地元の公立中学への進学も、高校の修学旅行への参加も、成人式への出席も、「しない」あるいは「できない」と判断しました。
これらの判断は両親を悩ませましたが、最終的に理解してくれたことには今でも感謝しています。
人が成長していく過程で、「同年齢・同年代の人たちと同じ行動」をしない・できない、と判断することは、なかなか勇気のいることだと思います。
そのことについては、『ふらっとライフ』全体でさまざまな事例が取り上げられています。特に具体的に描かれているのは、第4章「学校の外でも学び・過ごせるために――学校に行けない・行かない子の権利の保障を考える」(藤根雅之)、第3章「学校の「フツウ」のなかにある平等と不平等――決まりを守ること・能力に応じた進路に進むこと」(土田陽子)でしょう。
また、成人式のみならず、「1/2成人式」なるものの登場によって、新たに生じている問題については、第1章「いろいろな家族のかたち――ステップファミリー、養子縁組家庭を中心に」(古川恵美)で実例が示されています。
ちなみに、成人式に行かなかったことも、その他の様々なことに参加しなかったことも、今の私の人生にネガティブな影響を与えていません。
むしろ、考えてみれば、今の仕事にとってプラスの経験になっているような気がします。
私の専門分野は民俗学なので、人生にまつわる儀礼や、地域の慣習などについて、聞き取り調査をすることがあります。
その際、多くの研究者は、そこに参加した人に話を聞きに行くものですが、私は参加しなかった人・参加できなかった人にも、同じくらいたくさん聞き取りをします。
意識的にそうしたというより、気づいたらそうしていました。たぶん、決まり通りのことをしなかった・できなかった自分の経験が、研究者としての態度に自然と表れたのだと思います。
そして結果的に、ある儀礼・慣習について、これまでわからなかった側面を解明することができました(せっかくなので宣伝^^ →伏見裕子『近代日本における出産と産屋――香川県伊吹島の出部屋の存続と閉鎖』勁草書房、2016 https://www.keisoshobo.co.jp/book/b217709.html)。
・・・話を成人式に戻すと、これから先、感染症だけでなく、成人年齢の変更などに伴って、成人式のあり方はまた変化していくことでしょう。
成人式という儀礼の今後を考えるうえで、参加しなかった・できなかった人の経験こそが、キーになるのかもしれません。
(余談ですが、第二次ベビーブーム真っ盛りの世代だった私のパートナーは、成人式の会場まで行ったものの、新成人の人数が多すぎて、とてもじゃないが会場には入れない状況だったそうです…。少子化の今では、なかなか考えづらい状況があったのですね。)
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